沈静罪

吐き出すことでしか、平らに眠ることができないのです。胸を張って大通りを歩くなんてこと尚更できやしない。
それは大女優にでもならない限り実現しない、それは演技するということを更に演技することなのであるから。
不可能を手にしようと苦しむ感覚は同時に生きるための感覚を牛耳っているのですから、それを沈めるものならば現実において溺死することなのである。
その死を繰り返すことによる醜さというのは、肉体は野ざらしのミイラであり体内はといえばドザエモンのごとく腐り膨れ上がり体の表面を歪ませる。
呼吸はといえば吐くだけ、それを溜息と呼ぶそうですが、吐き出されるものに微塵も欲望というものは混じっておりません。
ただ本能的に心臓を止めようと息苦しさを呼び起こし、生命の危機という感覚を起こすという、古典的などという言葉も通じないほどに古い、ただ遺伝子の断片だけが記憶している、獣の記憶とでも言うのでしょうか、弱肉強食という言葉も廃れ、殺されるというより死んでいく世の中、その衰弱こそが神の望むものなのでしょうか?

ツーツーと電話の切れた音がディレイしながら遠のいていく、離れていくのは肉体と魂。その音はそこで永遠に鳴り響いています。
天井の鏡に映った裸体姿は死人みたい。快楽の果てに取り残された肉体が安いベッドで抜け殻と化し、風も息絶えた部屋で一つと地に帰ることも腐ることもなく、ただ主の帰りを待ちわびる。
探し物などもう手に入らないわよと遠くの声それはとても近いはずなのに現実というリアリティにおいて距離を測れば、大陸と大海原の果てを旅したところで足りない、次元というものが明らかに違うのである。
死ねばいいのに、消えてしまえばいいのに、後悔と憎しみの生み出す言葉達が醜い染みを胸に残す。
愛してる、この言葉の意味は無いに等しい、嘘とも。罪の意識が海を赤く染める。