ミミズの尻尾

simple is the bestっていうてもこりゃカナリ奥深く複雑だ。
俺も腐るほど、いや腐ってるくらいのポップソングを見習って、例として恋愛なる告白をテーマに書いてみようと思う。なんでかってこの世の人間が、相手に愛してるって気持ちを伝えるために、死ぬほど、時には病んだり、体を切りつけたりするほどに、悩んでいるからねぇ、愛してるって言葉は非の打ち所がないくらい正しいし最高の言葉のひとつだと思う。

結局、いきなりシンプルに愛してるっていったら伝わるかわかんない、せっかくシンプルにいったのに伝わるのかわかんないし、誤解すら招きかねない、そのタメにみんな悩んでる。正直に思っている事を伝えて何が悪い?うん全然悪くない。
本物のシンプルな言葉っていうのは、その一言の奥に宇宙みてぇーな奥深さを兼ね備えている。問題はその宇宙を相手に見せれるかだ。愛してるっていう言葉に理由なりをつけてみる。君は優しくて綺麗だから愛してるみたいね、そうしたら悲しい事に宇宙は縮んでしまう、もうぶさいくだから好きっていえなくなったりね。言葉は複雑になるほど自由を失う。
今もし、愛してるって言いたい相手がいるとして、迷うならいわないのもOKだ。いってしまってその時に伝わらなくても、それは時間が解決してくれる。それは愛してるって言葉が成長するから。大人っていうか歳を重ね、経験を積んだ人間の言葉は自然にその人の内面にあるヴィジョンを一言の中に詰め込める。
君が好き、だって同じ過去を持ってるから、一緒にいたらハッピーだから、まるで自分を見てるみたいな感覚すら起こす君の行動、俺にはないものを持ってる、俺達どっか前世で一緒にいたかもしれないって感じるくらいのシンクロ、一緒に過ごしたかけがえのない時間、自然に浮かぶ幸せな未来、傷を舐めあった瞬間、笑い飛ばした瞬間、傷つけ合った、同じ感覚をもってる、等など、それで愛してる。
こんな色々なヴィジョンが一言に詰め込める時がいつかくる、それは時間が必要だ。

老人はもう悟ってるんだ、彼らの言葉には多くのヴィジョンが根付いてる、時にそれは予想の及ばないほどの深さだったり。とにかく彼らの言葉は完全だ。問題は聞くほうがどれだけの物事をシンプルな一言から見つけ出すことができるかだ。

お笑いも実は、そのネタや言葉からオーディエンスの思考を掘り返してやるかだ、見るものがおもしろいと感じる感覚倉庫にアクセスしてどんだけひっぱりだすかだ。優れた芸人はその行為が実に巧い、まっちゃんとか一見何をしてるかわかんないように見えて常に俺らの記憶の奥底にふれてくる。もっとわかりやすい例だと、いつもここからの悲しい時だろう、あのネタを見て、あぁーあるあるみたいな感じだ。あれがもっと深いんだ、まっちゃんは抽象的(シンプル)ながらに見るものの感覚にふれる。抽象的だからゆえ、各個人なりのヴィジョンが見え、かつオリジナリティに溢れるおもろいものが想像できてしまうのだ。

大事なのは発想である、抽象的な、まだ自由度の高いものからどれだけ発想ができるかで、世の中をシンプルかつ奥深くみるという一見矛盾した世界の楽しみ方を得るのだ。