ファッキンスパイシーチキン

昨日、ついにとうとう、今住んでる街で一番辛いものを食べたと自負した。ウイングセントラルっていう、日本で言ったら手羽先専門店だな。愛知に二年も住んだもんだから正しいきれいな食べ方だってしってる。愛知フードで一番だれもが食べやすいものと言えば手羽先だろうに。甘辛いスパイシーな名古屋の手羽先が懐かしい、ビールとファックしたい。サッポロにキリンにエビスとファックだ。まぁまぁ大食いチャンピオンは店の写真に撮られるっていうのがよくある店だ。昨日の手羽先は大食いじゃない、量より質だ!わずか一本の激辛チキンにセントラルウイングの誇りが詰まってる。先ずは裁判大国アメリカらしくこのチキンで健康を害しても責任は負いませんという同意書にサイン、これで俺は自己責任においてチキンとキスをして生きて行く事になった。まぁまぁブロンドのおねーちゃんがカメラと共にまったくこの無謀なアフロヘアーの外人さんはっていう顔でその店自慢の名物ファッキンスパイシーなチキンを運んできた、その小さな小さなチキンには大きすぎる皿にのせて運んできた。向き合う、手を伸ばす未来なんか考えずディープキスだ、相手を飲み込むようなキスで絡み合って店自慢のチキンを胃の中に収める。するとアレだ、食いしん坊なレポーターのオーヴァーリアクションさながら、汗腺が一気に呼吸を始め生き返ったように暴れだす、生まれたばかりの赤ん坊のごとく涙のような汗が噴出す。そして目は血走り涙がこぼれる、決して旨いから泣いてるわけではない、きっと鈍感なアメリカ人ならあの姿をみて、変な外人がうちの手羽先で感動して泣いてるわなんて思ってるに違いない、いやいやもうとにかく辛いんだっていうか、痛い・・・火がつくとはこの事だ、舌の上でペッパーまみれのスパイスがかき乱す、飛びはねる、受け入れる痛みとはこのことか?おそるべし。頭に浮かぶのはただこの瞬間を何とか生き延びること、痛み、生きる事の痛みをたった一本のチキンによって教えられた。そのあとは悲惨です、水はいくらあっても癒してくれない、水は生き物が生まれる場所だけど、生まれちまったら帰れない。以外に熱いお湯ってのは辛いものには効く。
あーもがくこと時間感覚がなかったので不確かに30分、インディアンのスウェットロッジ体験のごとく、ペッパートリップでした、思考回路が麻痺して時間間隔は無くなり気付けば生まれ変わったかのごとく生を感じた。地獄だな、まぁどんなに苦しかろうが、それを越えた時に見えるNIRVANAっていうか涅槃は気持ちいいねぇ。まださわり程度だけどさ、これもある意味小さな幸せ、小さな幸せを重要視する人はこの世にいっぱいいる。ささいなことも人によっちゃ重要で幸せだったり地獄だったりまぁまぁ。

あと現在からぶっとんで離れた未来を考えてもしょうがねぇな、なんて思う。未来を考えるなってわけじゃなくて、未来のために今を考えるんだ、今なくし未来はない。そーすると未来が見えてきそうだ、そんな俺はサイコメトラーではない。