空白

ママに会った。
空白の時間について話し合った。
どうやらママにとってもそれは空白の時間だったようだ。
その話は、何だか思い出話をするようで、少し悲しかった。私から見たもの、ママからみたもの、その双方の視点から見ても、それは愛すべき存在である。だから尚更、そこへ悲しみは流れ込んできた。
悲しみというのも、私とママが感じているものの、本当はその愛すべき存在が押しつぶされるほどの果てのない悲しみから流れ出してきたもの。
空白だった時間が悲しみで埋まっていく。
何もできないという、虚しさがまた空白の時間を生み、そこへ悲しみが流れ込んでいく。
どうか神様、僅かでいい、あたたかな光を空白の悲しみに射し込ませる力を。
果てのない悲しみに、僅かでもいい、愛を。