未来

ずっと更新してない。忙しかったわけでもない。気持ちが乗らなかったり閃かなかった。
新年早々に祖母が他界した。
凄く俺のことを愛してくれていた、もう五年も離れて暮らしていて、帰る度喜んでくれて、認知症が始まったのも俺が一人暮らしをし始めた頃から徐々に、ここ何年かはもともと耳が遠かったが会話が一方通行になりかけてた。
正月に久しぶりにあったら大分小さく老いてしまった祖母の姿が寂しかった。誰よりも心配性で、周りが心配するほどの心配性。というか心配症。
やさしかった。身を削って尽くす姿。
愛した夫が20年前に先立ち、働く親の代わりに孫の世話をし生き続けた。いつのまにか自分の死の支度とて、手紙を書いて遺書みたい。写真も選んでいたり、忌中に呼ぶ人のリストまで作って。
ここ二年位俺にかける言葉はいつも遺言みたいで、もう祖母は満足していた。だから無理して施設にお世話になるのも嫌だったようで、一度2メートルちかい壁を無傷で飛び降り抜け出した事もあった。あれで何もなかったのは奇跡だろう。
そして親戚も集まるような正月早々、痛みもなく車にひかれたショックで他界した。
会えなくなるのは寂しいけど、空の向こうには祖母の愛した人たちがたくさん待ってるから心配ない。
ありがとう。
心配ないから、俺はうまくやるよ。

葬儀の中、俺はもう一つだけ考えていたこと。
あの人の気持ちが痛いほど、わかった。あの人もこうして悲しみをこらえて、こらえていたって。
死ぬって何故悲しいのだろ?
いつも、祖母の旅立つ顔を見ながら悲しみにくれる人達が、抑えてた気持ちの鍵をぶち壊して、細くなる前の笑顔の祖母の写真を見る度、涙が溢れてた。
きっとすぐには癒えない。切り替えて奥にしまっておいて徐々に温めていくしかない。

余計に俺はあの人に会いたい。途切れてる連絡はまた1ヶ月途切れたままになりそう。あの人じゃないとダメ、しっくりこない。
あの人と共に過ごしたい時間、場所、いくつものこと。
あの人と過ごせたら、世の中はもっと鮮明になる。
会えばきっとうまくやれる。