三日坊主世界チャンピオン防衛線

こう四日目になるとですね、不思議とネタが薄まるとですよ。あっ今日は言葉についてかこうかな?っと言葉と意思伝達やらのコミュニケーションな。第二言語、俺でいう、現在習得中の英語ってやつを使ってコミュするときにやっぱ感じるんだ。実際言葉ってのは複雑を欠いても伝わるんだ。

俺らはほぼ完璧に日本語を使えるだろ?しかもボキャブラリーは人それぞれにしても、カナリ複雑な言葉のやりとりが可能だ、ツボをおさえれば、カナリのお笑いのネタも可能であるし相当な口説き文句のひとつやふたつ言えるんだろうが、時にそれらの完璧な言葉たちが生きないとか作用しない時があるんだ。それは言葉だけじゃ足りない時だ、相手の脳の中に生まれるはずのイメージや感情が正常に生まれないときにこれはあたる。

まぁ人間最初の意思伝達方法ってのはスキンシップとかになるのか?多分初対面で、自己紹介をし初めましてというシチュエーションを想像してもらいたいんだ。いくつかの例を挙げよう。
1 自己紹介を言葉のみで色々趣味やら過去やら夢などを語ってみる。
2 簡単な挨拶と握手
3 簡単な挨拶とハグに握手などのスキンシップを重視。

2のやつが一番シンプルだ、バランス重視で無難だな、1は俺が思うに、相手との距離は言葉の内容によっては凄く離れる可能性が高い、イメージできない、イメージが悪いものを植えつけるとか、こいつとは気が合わないってのを言葉のみで感じてしまうかもしれない。言葉だけで相手に対する好感を伝えるのは特に初対面の場においてはリアリティがないと思うんだ。言ったところで、こいつは私の何を知ってそんな事をいってるんだ?みたいな疑問が常に浮かぶからね。
3が初対面に対して愛情を伝えるに一番適してる。それは母親と赤ちゃんにおける愛情伝達手段と同じっていう理由であったり、人の肌を触れることによりその人の体温やら聴覚、視覚以外の触覚やら他の感覚でも感じるからな。あと気持ち悪いものをみたら、こんなの触りたくもないって思うだろ?触れるってことによって生命の危機が訪れるなら警戒するから。触ってみたら何もない、おそれることはねぇじゃねぇかって思える瞬間だ、心をそれに対して許せるんだ。他人に対してもそうだ、触ると一気に同じ人間って事を認識し、相手もそれを許してくれてるしと親近感が沸くはずだ。そこには言葉の壁ってのがなくなる。違うものってのがスキンシップによって同じものと認識される。これはシンプルで最高の愛情表現だ。

こうこの事実を思い知らされたビデオがある、おぎやはぎの人体実験ってビデオだ。人間は愛によって非行をやめるようになるのかってやつだ。10代の非行がアメリカで社会問題になった時に実際行われた実験を我等がおぎやはぎが実践した。
おぎだったかな、あの背の高いほうがヤンキーとデートをするんだ、そこでおぎはまず手をつなごうとし始める、最初はヤンキーはぶち切れだが、呆れたのか許可。服を見に行けば、おぎの趣味か(?)変な服を着せてみては似合ってもいねぇのに、良い!かわいい、似合うじゃんとかって褒めまくる上に今度はキスまでし始める。見ていて異常な状態だ。おぎの一方的な愛情攻撃についにヤンキー少女は唇を奪われ、その後も拒否を続けたがついに終盤折れ、ラストの川原で語る場面では、ヤンキーの強がりな喋りが消え、女の子ってやつになってる、おぎを受け入れた状態だ。最後のキスは今までの異常さを一掃するくらい自然だ、感動した!と、やらせ疑惑をかけてもいいんだが、ヤンキーがああいう演技力があんのかな?これはあいのりでも思うんだ、素人にしちゃ恋愛の表情がリアルすぎるし演技じゃねぇなって。

おっと長くなった、つまりな、言葉を練りこむより、目とかジェスチャー、スキンシップを絡めた方がリアルに伝わるって事だ。こう外人と喋って言葉足らずになると、ジャエスチャーやらスキンシップで補うだろ?これが足りない言葉以上に意思を伝えてるってことを覚えておいてほしいんだ。つまり言葉が足りなくても恐れることはない。言葉を考え眉間にしわを寄せるより笑ってシンプルに応えるでは大きな差が出る。

たしかに言葉は遠くの存在に対して便利だ、記録に残せば、時間すら越えるし、このインターネットは国境さえ越える。つまり遠くの存在とコミュするためのもんだ、近くの存在に対しては、距離を作ってしまう可能性が大きい。ふれれるのにふれれない、みたいなちょっとじれったい、透明なガラス越しに相手と接する感覚だ。そこにはガラスっていう壁があるからな、その壁を壊さない限り。伝わらないものもあるってこと。