子供の日すなわち遊ぶ日

子供の非は親の非なのかねぇ?そりゃ親に守られてたり、縛られてたり、環境に適応できるかだろうな・・・。どうなっちまうんだか。昔はほんとによかったなのかなぁ?たしかに今はスパルタはなくなりゆとりなんていって自由が増えた。まぁそりゃ子供は自由に考えれる、そして疑問を抱くだろ?これがホントに楽しい未来に繋がるのって?多分答えはノーなんだ、つまり世の中が間違ってるってこと。増加する少年犯罪や、いじめ、ニートなんてのは口には出てないが、今の世の中に対する、疑問や拒否の表れなんだろうな。個人が間違っているのかってなっちまったら民主主義の世の中じゃ負けだ。だけどやっぱこの社会の決め事は歴史もあるが、一部の個人によって決められている。犯罪者と政治家の人数はどっちが多いのかって?そりゃ犯罪者だろうな。だって汚職やらなんやらで政治家も正しいとは限らない。やっぱ世の中何かが間違ってるんだろな。だって日本は平和といっても、経済が良好でも、アジアや世界中の森林を破壊してる。犠牲が多すぎる。いつか犯罪党とエリート党なる二大政党で政治を行ってもらいたいもんだ。
飛べない鳥が空という自由をもらっても地面に沈んでしまうのは見えるだろう?
勉強嫌いに学問の自由を与えられても拒否する以外自由は手に入らない。
俺らは民主主義といっても、政治家についていってるだけで、政治に興味などさらさらなかったりするし、今の世の中でどう楽しむかばかり考えてる、それに自由を奪われないためのタブーの勉強くらいだ。自分の自由を守るための勉強は金とがいるし、自由な思想を政治に染められてしまう、つまり政治家の思い通りになっていくってわけだ。
民主主義のトップにたっちまった、よぼよぼのじいさん達なのか、まぁなんでもいい。ここで政治家はちょっと悪役をやってもらうとだな・・・、俺らは彼らから学校という、教育という賄賂をもらってるわけだ、そしてそれなりの生活っていう賄賂だ。おかげで俺らは自由な思想ってのを犠牲にして、犯罪者から目をそむけたりノーと言ってみたり、政治家の思い通りだ。こりゃ世の中が変わるわけない。変えるためにはやっぱ犠牲が必要だっていっても
自由のための犠牲だ、自由があれば俺たちは何でもできる、死ぬかもしれない、自由は死に果てしなく近いんだ、たとえ一本の糸でもいいから俺らの命を繋ぎとめていてくれれば自由が死に変わることはない、自由を手に入れるために俺らは賄賂を犠牲にしなきゃな。
いいじゃん?自由なんなんだ、失うものはまた手に入る、いつか、望み続けるなら。
与えられるわけではないが、手に入れることはできる、それが自由。

イノセントな子供に非はない、どこか世界が狂ってるんだ。